AI時代のキーワードは『自走』なのかもしれない
AIによって、文章生成、画像生成、コード生成、資料作成、自動化などがかなり簡単になってきた。
以前なら、何かを作るにはチームが必要だった。
文章を書く人がいて、デザインする人がいて、実装する人がいて、編集する人がいた。
まるでバンドのようだ。
ボーカルがいて、ギターがいて、ベースがいて、ドラムがいる。
それぞれが自分のパートを担当し、一つの曲を完成させていた。
しかしAIの登場で、この前提が少し変わってきた。
今回はこの変化について考えてみたい。
昔はバンドを組まないと曲が出せなかった
昔は、一人で全部やるのは難しかった。
曲を作るにしても、役割が分かれていた。
- 歌う人
- 演奏する人
- 作詞する人
- 編曲する人
- 録音する人
- 宣伝する人
一人で全部できる人もいたかもしれない。
しかし、多くの場合はチームが必要だった。
仕事も同じだ。
- 企画する人
- 文章を書く人
- デザインする人
- コードを書く人
- 販売する人
- 分析する人
だから会社には職種があった。
エンジニア、デザイナー、ライター、マーケター、営業、ディレクター。
それぞれの専門家が集まって、一つの成果物を作っていた。
AIによって一人でできる範囲が広がった
しかしAIが出てきた。
すると、状況が少し変わった。
文章が得意な人が、AIを使って画像案を出せる。
エンジニアが、AIを使って営業文や資料を作れる。
デザイナーが、AIを使ってコードのたたき台を作れる。
教材制作者が、AIを使って問題案、解説案、タイトル案、販売ページ案まで作れる。
つまり、今まで別々の人が担当していた作業を、一人である程度できるようになってきた。
これは、バンドで言えばかなり大きい。
ドラム担当だった人が、急にこう言い出すようなものだ。
- 作詞もできます
- 仮歌も入れられます
- ジャケット案も出せます
- MVのラフも作れます
- 販売ページも作れます
もちろん、すべてがプロ級になるわけではない。
しかし「とりあえず形にする」ことはできる。
ここが大きい。
すると、バンドを組む理由が変わる
では、これからチームは不要になるのだろうか。
おそらく、そうではない。
バンドが消えるというより、バンドを組む理由が変わるのだと思う。
以前は、できないことを補うためにチームを組んでいた。
しかしこれからは、一人でもある程度できる。
だからチームを組む理由は、単なる分業ではなくなる。
- もっと質を上げるため
- 判断の精度を上げるため
- 自分では見えない弱点を見つけるため
- より尖ったものにするため
つまり、ただの作業分担ではなくなる。
「この人がいないと作業が回らない」ではなく、
「この人がいると作品が良くなる」
という方向に変わっていく。
全員が多能工になると、判断力が重要になる
ここで問題が出てくる。
AIを使えば、作ること自体はかなり簡単になる。
文章も作れる。
画像も作れる。
コードも作れる。
企画案も出せる。
タイトル案も出せる。
販売文も作れる。
しかし、作れるものが増えると、別の問題が出てくる。
それは、
どれを出すべきなのか。
という問題だ。
これはかなり大きい。
昔は、作ること自体が大変だった。
だから完成しただけで価値があった。
しかしAIによって作るコストが下がると、完成品は大量に生まれる。
そのとき大事になるのは、
- これは本当に必要か
- 誰に届くのか
- 今出すべきなのか
- 本にする価値があるのか
- 記事で十分ではないか
- 無料配布で様子を見るべきではないか
という判断だ。
AIはなかなか「ボツ」と言ってくれない
AIは基本的に前向きだ。
こちらが、
こういう企画どう?
と聞くと、多くの場合、
いいですね。章構成はこうです。タイトル案はこうです。
と走り出してくれる。
これはありがたい。
しかし、少し怖くもある。
AIはアクセルとしては優秀だ。
しかし、ブレーキとしてはそこまで強くない。
だから人間側に必要なのは、ボツにする力だ。
- これは今じゃない
- これは小さく試すだけでいい
- これは記事で十分
- これは本にする価値がある
- これは出すとノイズになる
- これはニッチだが、困っている人がいる
この判断をAI任せにすると、作れるものを全部作ってしまう。
そして、世の中には「出さなくてもよかった曲」が増えていく。
しかし、ボツ作品が世に出られる時代でもある
ただし、これは悪いことばかりではない。
AIによって、今までボツになっていた作品が世に出る可能性もある。
昔は、作品が世に出るまでに多くの壁があった。
- 制作コストが高い
- デザインできない
- 編集できない
- チームが組めない
- 出版社の会議を通らない
- 市場が小さいと判断される
その結果、本当は面白いものでも消えていた。
しかしAIがあると、一人で突破できる壁が増える。
ニッチな教材。
変な切り口の本。
少人数にだけ深く刺さるアプリ。
大手なら企画会議で落ちるようなもの。
そういうものを個人が世に出せる。
ここはかなり面白い。
大衆向けではないが、特定の人には刺さる。
売上は大きくないが、困っている人にはありがたい。
そういう作品が増える可能性がある。
必要なのはニーズの見極め力
では、何を基準に出すべきなのか。
そこで重要になるのが、ニーズの見極め力だ。
ただし、ここでいうニーズは大市場だけではない。
むしろAI時代は、小さいニーズを見つける力が重要になるかもしれない。
- 範囲は狭いが、困っている人がいる
- 検索される可能性がある
- 既存の商品では満たされていない
- 買ったあとに使い道がすぐわかる
- 自分なら低コストで作れる
例えば、広すぎるテーマは競合が多い。
しかし、かなり絞ったテーマには隙間がある。
「中学数学」では広すぎる。
しかし「降べきの順だけ」なら、困っている人がいるかもしれない。
「韓国語」では広すぎる。
しかし「韓国語の助詞だけ」なら、かなり明確な悩みになる。
「英語学習」では広すぎる。
しかし「TOEIC Part 1 写真描写フレーズだけ」なら、使い道が見える。
採用も「職種」から「自走」へ変わる
この変化は、会社の採用にも関係してくる。
今までは、
- エンジニア採用
- デザイナー採用
- ライター採用
- マーケター採用
のように、職種ごとに人を採っていた。
もちろん、これからも職種名は残る。
しかし中身は少し変わっていく気がする。
会社が見たいのは、単に「コードを書けるか」ではなくなる。
AIを使って、どこまで事業を前に進められるか。
足りない情報を自分で埋められるか。
仕様を待つだけではなく、目的から考えられるか。
作って終わりではなく、改善まで回せるか。
つまり、キーワードは「自走」だ。
自走とは、一人で全部抱えることではない
ただし、自走という言葉には少し注意が必要だ。
自走とは、一人で全部抱え込むことではない。
誰にも相談せず、全部一人でやることでもない。
本当の自走は、おそらくこういうことだ。
- 目的を理解する
- 足りない情報を確認する
- 仮説を立てる
- AIを使って形にする
- 出てきたものを判断する
- 必要なら人に相談する
- 最後まで仕上げる
つまり、自走とは孤独な作業ではない。
前に進める力だ。
AIを使う力だけでも足りない。
専門知識だけでも足りない。
最後は、目的に向かって自分で動けるかどうかになる。
AI時代の価値は「作業」から「判断」へ移る
AIによって、作業の価値は相対的に下がっていく。
もちろん、作業がなくなるわけではない。
しかし、ただ手を動かすだけならAIがかなり補助してくれる。
だから人間側の価値は、少しずつ移っていく。
- 作業力 → 判断力
- 制作力 → 編集力
- 専門分業 → 自走力
- 量を出す力 → 捨てる力
- 作れる力 → 出すべきものを選ぶ力
これは、かなり大きな変化だと思う。
AIはたくさん案を出してくれる。
でも、その中から何を選ぶかは人間の仕事だ。
AIは形にしてくれる。
でも、それを世に出すべきかどうかは人間の判断だ。
AIは曲を作ってくれる。
でも、
この曲、そもそも出すべき?
と問うのは人間だ。
これからの人間は、小さなプロデューサーになる
もしかすると、これからの人間は全員が小さなプロデューサーになるのかもしれない。
AIを使えば、作業はかなり進む。
しかし、何を作るか。
誰に届けるか。
どこまで作るか。
いつ出すか。
どう改善するか。
ここは人間が考える必要がある。
つまり、AI時代の人間は単なる作業者ではなくなる。
一人ひとりが、小さな企画者であり、編集者であり、プロデューサーになっていく。
昔は、バンドを組まないと曲が出せなかった。
今は、一人でも曲を出せるようになってきた。
だからこそ、問われる。
その曲は、本当に出すべきなのか。
誰に届くのか。
何を解決するのか。
世の中に出す意味はあるのか。
AI時代のキーワードは、おそらく「自走」だ。
ただAIを使えるだけではない。
目的を見つけ、自分で進み、判断し、必要なら止まり、最後まで形にする力。
それが、これからますます重要になるのかもしれない。
そして皮肉なことに、この記事を世に出すべきかどうかを決めるのも、AIではなく人間である。
でも、どれだけ考えても、結局は出してみないとわからない。
企画も、記事も、教材も、アプリも、世に出す前はすべて仮説である。
「これは刺さるはず」と思ったものが何も起こらないこともある。
逆に、軽い気持ちで出したものが、思わぬ人に深く届くこともある。
だからAI時代に必要なのは、未来を完全に当てる力ではない。
仮説を立てて、小さく出して、反応を見て、また考える力なのだと思う。
仮説は当てにならない。
でも、そこが面白い。